2015年8月に行われたサンフランシスコ・コンクールでは劉教室から多数の受賞者が出ました。その一部の方々をご紹介します。

 

第4回「華音杯」中国民族楽器国際コンクールに参加して 

 

 

外国人部門 一般グループ金賞受賞 金子美也子さん

              (中胡で「草原上」を演奏)

 

 

劉継紅先生から、アメリカで8月中旬に中国楽器のコンクールがあるので参加してみないかと、5月の終わりに突然言われ、驚いてる暇もないうちに参加する事になりました。参加曲は何にするかと尋ねられ、その場で劉明源先生の「草原上」にしますと答えました。劉明源先生のあの姿から醸し出される音、雰囲気、全てを初めて聴いた時から大好きだったので、劉明源先生直伝の劉継紅先生から教えて頂くチャンスだと思ったからです。(そして9年前に練習したことがあったので)

  本格的に練習に入ると、以前レッスンを受けた時とは違い、とても細かい所やモンゴルの雰囲気等、こんなにもやる事があるのかと思うくらい細かく教えていただきました。2ヶ月半後に仕上がるのかという不安の中で練習し、本当に最後のレッスンまで注意されっぱなしでした。

その間、仕事は普通にこなし、おまけに生徒さんの二胡の発表会のピアノ伴奏もたくさんあり、その中で二胡の練習時間を捻出できたのは、今考えると、自分の事ながら不思議に思います。

 

コンクールの本番には二本の中胡を持って行きました。サンフランシスコの湿度、会場の音響の具合がわからないので、どちらの中胡にするかは着いてから決めました。

  本番は、昔 行った内モンゴルの草原を思い浮かべながら、思ったほど緊張することもなく演奏することができました。わずかの間でも集中して練習できたこと、そして劉継紅先生の厳しいレッスンのおかげで金賞をいただく事が出来ました。

 

 

 

 

 

一般グループ銀賞受賞 板橋育子さん

                (「江南春色」を演奏)

    
去る2015年8月14-15日、アメリカで開催されました「華音杯」中国民族楽器国際コンクールに参加させていただきました。
カリフォルニア州サンノゼのカラリとした爽やかな空気、明るい太陽の下、会場であるサンノゼ州立大学の音楽堂への道のりを、楽しさと期待と不安が入り混じった心持ちで向かいました。二胡の外国人部門での出場でしたが、コンクール会場の独特の雰囲気、審査員である著名な先生方を前にしての演奏は、これまで経験したことのない緊張と高揚感の中でのものでした。私の演奏曲は「江南春色」。冒頭のハーモニクスを乗り越えたあたりから、とにかく必死で弾き続けたことだけは覚えています。
 初めてのアメリカ、初めてのコンクール参加で緊張の連続でしたが、とにかく夢中で過ごした数日間でした。銀賞をいただいたこともこれからの励みとなりました。そして修練を積むことの大切さを痛感しました。
また、短期間ではありましたが集中して練習に打ち込んだ事も良い経験でした。
心から親しみ、高め合える仲間を得た事も大きな収穫となりました。今回、コンクールに参加して本当によかったと心から思っています。
日頃よりご指導いただき、二胡への道を導いて下さった劉継紅先生に心から感謝致します。そして今回の参加に関わった方々に心から御礼申し上げます。
これからも精進していきたいと思います。

 

 

一般グループ銅賞受賞 梅木美佐さん

                   (「揺影濁紅」を演奏)

 

サンフランシスコのコンクールは私にとってどれだけの学習と反省になったかわかりません。

曲を決めたのが本番の3カ月前、暗譜できたのが本番の1ヶ月前。あやふやながら暗譜ができたところで、申込み期限の前日にサンフランシスコ行きの切符を手配してもらったのです。

正直、コンクールに参加したいという熱意は全くありませんでした。

でも劉先生の「必ず良い経験になります」という言葉と母の「人生はあっという間。コンクールに参加できるなんてすごいじゃないの! 行ってきなさい!」という言葉に背中を押され・・。

そこから本番までは、やると決めたからには必死にやろう! と自分に誓い、ここまで一つの事に没頭できるのかと我ながら驚くくらいに二胡と向き合いました。

今となっては全てが言い訳になりますが、コンクールでベストを尽くそうと思ったら「毎日何時間も一生懸命、必死に練習した」そんな事は朝御飯の前に終わらせる事で、もっともっと自分を追い込み新たな挑戦をしなければならなかったと大いに反省しました。

あの独特の、魔物が潜むような場所で、自分の持っている最大限の力を出すには、寝食を忘れるほど、寝ても覚めても24時間全てを練習とイメージトレーニングに注がなければ納得のいく結果は残せないんだ、と。

アメリカで最も歴史のある州立大学での大きな音楽ホール。観客は無く、審査員の先生方が一列にズラリ。そこには拍手も温かさもなく静寂のみの世界が広がっていました。

あのステージの恐ろしさをイメージできていなかった私は、全身の震えが止まらない中で4分強で弾き終える曲を、まるで延々と弾き続けているような、でも1分くらいしか弾いていないような・・

砂の中にずぶずぶと沈んでいくような感覚の中で平常心を保てないまま、演奏を終えました。

弾き終えた後の、惨めで奈落の底に叩きつけられたような思いは生涯忘れる事はないと思います。

楽屋に戻ると、後から後から止まらないほどの涙が溢れ・・・一緒にコンクールに参加した仲間が「いいんだよ、今はたくさん泣きなさい。いつか必ず必ず参加して良かったと思える日が来るから」と背中をなでてくれました。

結果は銅メダルは頂けましたが、私にとっては苦しく悲しい反省だらけの銅メダル。

コンクール後の授賞式で、審査員長の干紅梅先生から「あなたのドレスはとても美しい」と言われました。

後日、それを父に伝えたら「衣装以外に誉めるとこが無かったんだろ」

全くの同感です。時間をかけて選んだお気に入りの衣装・・いつか自信を持ってステージに立てる時がきたらまた着よう!名付けてリベンジドレス。いつか着れるその日まで。クローゼットの奥底にしまいました。

現在。これで終わってたまるものかと、2月の音大の修了試験に向けてこの曲を弾き続けています。そしてこの弾き続ける事が私にとってプライスレスな結果に結びつこうとしています。

この楽譜から、思いがけないものが浮かび上がってきます。作曲した劉天華が表したかったであろう、蝋燭の火が揺れる様子が、時に激しく揺れたり、甘美に淡くユラユラしたり、そんな情景が伝わってきます。

たった一つの小節から壮大なドラマが生まれます。これが曲を理解する、という事なのでしょうか。

先日のレッスンで、劉先生から「サンフランシスコで弾いた時よりずっと良くなったね」と言って頂き、本当に嬉しかった。

私にとって、作曲家を身近に感じ、一つの曲を追求する事が出来るようになってきたのがアメリカ行きの一番の収穫なのです。

仲間が言ってくれた「いつか必ず参加して良かったと思える日が来るから」 

良かったと思えた日はとても早く来ました。

アメリカから帰ってきて、清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入したインド紫檀の二胡が私の手に届きました。発注してから私の元に来るまでに10カ月かかりました。私の一生のパートナーになってくれる事でしょう。

劉先生の「この楽器は生きています。だから生き物と思って接してね」の言葉を胸に刻み、一緒に育っていきたいです。

いつか私しか出せない、私らしい音色を作れますように・・。それを目指して。